爆弾を消し住民を守った伝説
第二次世界大戦終了間際に、媽祖様をまつわるある奇跡の話が台湾で流布されていた。ことの真偽は確かめようがないが、いまだに語り継がれている。
当時、台湾各地に常時米軍の空爆を受けていた。ある日、空爆任務を務めた米軍パイロットの目の前に、忽然空中に綺麗な女性が現れた。天の高さにも届くその巨大な姿がゆっくりと白いドレスの裾で爆弾を受け取って、その場を離れていった。唖然としたパイロットはその信じ難い現象を目の当たりにして、しばし自分自身の幻覚とみなしたが、ただ地上で逃げ回った避難民でさえも同じ奇跡的現象を見たという。しかも、この奇跡的現象を目にした人たちは、その綺麗な女性は紛れもなく毎日拝んでいる媽祖様だと口揃えて言った。
言い伝えられている北港媽祖はかの如く信徒を固く守りぬく。厄払いのみならず、それに旱魃解消・雨乞い・疫病払い・家内安全・豊作祈願などにも応えられる。これが「朝天宮」の絶え間ない参拝が続くゆえんであり、媽祖が世界各地に勧請される根拠でもある。
乱闘事件を鎮めた伝説
清朝末期に、北港媽祖の神輿が台南地区を巡行した際に、各地の信徒も一同お迎えに集まった。それぞれの廟宇が拝みの先頭を競い合いの中で、現地の信徒と北港の信徒との間で、互いに進路を相譲ろうとしなかった。激情した双方は神輿が城から離れた後に、南門城外で武力解決を挑む口約を交した。
昼過ぎに、帰途に向かう媽祖の神輿を歓送するそれぞれの信徒が南門に着いたところで、突然耳が裂くほどの雷が鳴り、それから暴風に見舞われ、暫くして土砂降りが続いた。各廟の神輿は千斤の錘に圧し掛かったかのように、いくら担ぎ挙げようとも微動だにしなかった。丁度その時、北港媽祖の神輿が翼が生えたが如く、南門を抜けて飛んでいった。これにより、元来起きかねない乱闘事件を鎮めたという。
親孝行の釘の伝説
清朝中期に、福建から台湾に新天地を求める移民が増える一方であった。清朝は反抗勢力の増大を恐れて、このなだれ込む移民を歯止めようと、台湾への渡航禁止令をひかれた。それによって、以前から台湾に渡った移住民は故郷に帰れない羽目になった。
渡航禁止令の関係で、父親が音信不通になった親孝行の蕭氏は母親に付き添って、中国本土から台湾に父親を探しにやってきた。不幸にも、乗船が暴風に煽られ、大波にのまれて沈没した。その親孝行蕭氏は漁師に助けられ一命を取り留めたが、逆に母親は行方不明となった。両親ともに音信途絶えた蕭氏は途方にくれて、無一文の身で物乞いの生活を余儀なくされた。
ある日、蕭氏が北港朝天宮にやってきて、霊験豊かな北港媽祖の噂を聞き、泣きながら媽祖様の前で一日も早く一家団欒できるように祈祷した。そこで、媽祖様に「もし両親ともに再会できるように援けてくれるなら、手の中の鉄釘も石段を貫けられる」祈りを込めた願掛けをした。回りの衆目を集って、騒然とした中で、蕭氏が鉄釘を石段に手で打ち込んでみた。すると、なんと鉄釘がそのまま硬い石段に埋めたよう入った。その信じられない光景を見た群衆は、媽祖様の御示しで奇跡が起こった、と看做した。この噂は瞬く間に広がり、蕭氏の母親が奇跡的に生還され、父親も噂を聞き駆け付けてきて、お陰で一家が一緒に暮らせるようになった。
この「親孝行の釘」は、いまだに原状のまま、北港朝天宮の五殿の後殿(別名:観音殿)に刺し込んだ鉄釘を確かめられる。
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